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语言·词语

29 phrases
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おなじ「がんばる」でも、ぶんみゃくによってごかんがまるでちがってくるから、ほんやくではくろうさせられる。
同じ「がんばる」でも、文脈によって語感がまるで違ってくるから、翻訳では苦労させられる。
ZH即便是同一个「加油、努力」,随语境不同,语感竟截然不同,翻译时着实让人费尽心思。
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あのにんのいいまわしには、ちょくせつてきなものいいをさけつつもしんをつく、どくとくのたくみさがある。
あの人の言い回しには、直接的な物言いを避けつつも芯を突く、独特の巧みさがある。
ZH那个人的措辞自有一种独特的高明:既回避了直言不讳,却又句句切中要害。
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「ありがとう」のごげんをたどると、めったにない、ありがたいことだというげんぎにいきつくらしい。
「ありがとう」の語源をたどると、めったにない、有り難いことだという原義に行き着くらしい。
ZH追溯「谢谢(arigatou)」的语源,据说会回到「难得、稀有」这一本义。
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「けんとうします」というひとことには、じっしつてきなきょぜつのがんいがこめられているばあいがすくなくない。
「検討します」という一言には、実質的な拒絶の含意が込められている場合が少なくない。
ZH「我们会研究一下」这一句话,往往暗含着实质上婉拒的意味。
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にほんごのえんきょくひょうげんは、ことわりをやわらげるじゅんかつゆであるとどうじに、がいこくじんにはなんかいなかべでもある。
日本語の婉曲表現は、断りをやわらげる潤滑油であると同時に、外国人には難解な壁でもある。
ZH日语的委婉表达既是软化拒绝的润滑剂,同时也是让外国人费解的一道壁垒。
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こうごではついしょうりゃくしがちなじょしも、ぶんごちょうのぶんしょうではりちぎにおぎなわれることがおおい。
口語ではつい省略しがちな助詞も、文語調の文章では律儀に補われることが多い。
ZH在口语中往往被省略的助词,在文言腔调的文章里却常常被一丝不苟地补上。
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SNSのふきゅうとともにつぎつぎとうまれるぞうごは、すうねんですたれるものもめずらしくない。
SNSの普及とともに次々と生まれる造語は、数年で廃れるものも珍しくない。
ZH随着社交媒体的普及而层出不穷的新造词,不少在短短数年间便销声匿迹。
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「あぶらをうる」のようなかんようくは、じづらだけをおってもほんらいのいみにはたどりつけない。
「油を売る」のような慣用句は、字面だけを追っても本来の意味にはたどり着けない。
ZH像「卖油(偷懒磨蹭)」这样的惯用语,仅凭字面是无法抵达其本义的。
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ほんやくしゃは、げんぶんのニュアンスをそこなわぬよう、いちごいちごのおもみをしんちょうにはからねばならない。
翻訳者は、原文のニュアンスを損なわぬよう、一語一語の重みを慎重に量らねばならない。
ZH译者必须慎重掂量每一个字词的分量,以免损害原文的细微意味。
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けいごのつかいわけは、たんなるていねいさではなく、あいてとのきょりかんをはかるせんさいなそうちでもある。
敬語の使い分けは、単なる丁寧さではなく、相手との距離感を測る繊細な装置でもある。
ZH敬语的分寸拿捏,不只是礼貌与否的问题,更是衡量与对方距离感的一套微妙机制。
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「やばい」といういちごが、いつのまにかこうていにもひていにもつかえるごへといみをひろげていった。
「やばい」という一語が、いつの間にか肯定にも否定にも使える語へと意味を広げていった。
ZH「yabai(糟糕/厉害)」这个词,不知不觉间意义扩展成了褒贬皆可使用的词。
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えんきょくにたったつもりが、あいてにはまったくつたわらず、かえってごかいをまねいてしまった。
婉曲に断ったつもりが、相手には全く伝わらず、かえって誤解を招いてしまった。
ZH我本以为已婉言谢绝,对方却全然没能领会,反倒招致了误解。
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こごにゆらいするいいまわしをひとつそえるだけで、ぶんしょうにおもわぬかくちょうがうまれることがある。
古語に由来する言い回しを一つ添えるだけで、文章に思わぬ格調が生まれることがある。
ZH只需添上一句源自古语的说法,文章便可能平添几分意想不到的格调。
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このごにはじしょにのらないふくみがあって、ばのくうきをよまないとしんいをとりちがえかねない。
この語には辞書に載らない含みがあって、場の空気を読まないと真意を取り違えかねない。
ZH这个词有着词典未载的言外之意,若不察言观色,恐怕会误解其真意。
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せんもんようごをたようしたぶんしょうは、せいかくであるはんめん、もんがいかんをよせつけないつめたさをおびる。
専門用語を多用した文章は、正確である反面、門外漢を寄せつけない冷たさを帯びる。
ZH大量使用专业术语的文章固然精确,却也带上了一种将外行拒之门外的冷漠。
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「せっかく」ということばには、どりょくやこういをむにしたくないというしんじょうがにじんでいる。
「せっかく」という言葉には、努力や好意を無にしたくないという心情がにじんでいる。
ZH「特意、难得(sekkaku)」这个词里,渗透着不愿让努力或好意付诸东流的心情。
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ごかんをむししてちょくやくすると、いみはつうじても、どこかふしぜんなやくぶんになりがちだ。
語感を無視して直訳すると、意味は通じても、どこか不自然な訳文になりがちだ。
ZH若无视语感一味直译,纵然意思能通,译文也往往显得哪里不自然。
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「わびる」と「あやまる」はいっけんどうぎだが、あらたまったばではそのごかんのさがとわれる。
「詫びる」と「謝る」は一見同義だが、改まった場ではその語感の差が問われる。
ZH「wabiru」与「ayamaru」(皆为道歉)乍看同义,但在正式场合,其语感之差便见分晓。
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こうこくのキャッチコピーは、かぎられたじすうのなかにがんいをぎょうしゅくさせることばのしょくにんげいだ。
広告のキャッチコピーは、限られた字数の中に含意を凝縮させる言葉の職人芸だ。
ZH广告标语是一门文字匠艺,须在有限的字数中将言外之意凝练其中。
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やたらとよこもじをならべるはなしかたは、ないようのくうそさをおおいかくすえんまくにすぎないこともある。
やたらと横文字を並べる話し方は、内容の空疎さを覆い隠す煙幕にすぎないこともある。
ZH一味堆砌外来词的说话方式,有时不过是掩盖内容空洞的一道烟幕。
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「おつかれさま」というあいさつは、ろういからたんなるあいずまで、はばひろいようほうへとかんようかしていった。
「お疲れさま」という挨拶は、労いから単なる合図まで、幅広い用法へと慣用化していった。
ZH「辛苦了(otsukaresama)」这一问候语,已惯用化为从慰劳到单纯招呼的广泛用法。
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ぶんごとこうごをたくみにおりまぜるひっちに、そのさっかならではのひんかくがにじみでている。
文語と口語を巧みに織り交ぜる筆致に、その作家ならではの品格がにじみ出ている。
ZH那种将文言与口语巧妙交织的笔致,透出这位作家独有的品格。
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じだいとともにごげんがわすれさられ、かんようくだけがかせきのようにげんごにのこることがある。
時代とともに語源が忘れ去られ、慣用句だけが化石のように言語に残ることがある。
ZH随着时代变迁,语源被人淡忘,唯有惯用语如化石般残留在语言之中。
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「だいじょうぶです」がしょうだくかじたいかは、くちょうやじょうきょうからくみとるほかないやっかいなひょうげんだ。
「大丈夫です」が承諾か辞退かは、口調や状況から酌み取るほかない厄介な表現だ。
ZH「没关系(daijoubu desu)」究竟是答应还是婉拒,只能从语气和情境中体会,实为一个棘手的表达。
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わかものことばのぞうごりょくにはめをみはるものがあるが、ていちゃくするのはほんのひとにぎりにすぎない。
若者言葉の造語力には目を見張るものがあるが、定着するのはほんの一握りにすぎない。
ZH年轻人用语的造词力令人叹为观止,然而真正得以固定下来的不过寥寥数个。
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がんいをよみとくちからなくして、ぎょうかんにひそむかきてのほんねをとらえることはできない。
含意を読み解く力なくして、行間に潜む書き手の本音を捉えることはできない。
ZH若无解读言外之意的能力,便无法捕捉潜藏于字里行间的作者真心。
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ほうげんとくゆうのいいまわしには、ひょうじゅんごにはどうしてもやくしきれないあたたもりがこもっている。
方言特有の言い回しには、標準語にはどうしても訳しきれない温もりがこもっている。
ZH方言特有的说法里,蕴含着标准语无论如何也译不尽的温情。
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「そんたく」というごがいちやくきゃっこうをあびたのは、そのがんいがせそうをするどくうつしたからだろう。
「忖度」という語が一躍脚光を浴びたのは、その含意が世相を鋭く映したからだろう。
ZH「忖度(揣摩上意)」一词之所以骤然备受瞩目,想必是因其言外之意犀利地映照出了世态。
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ことばはいきものであり、じだいのくうきをすってたえずごぎをかえつづけているのだ。
言葉は生き物であり、時代の空気を吸って絶えず語義を変え続けているのだ。
ZH语言是活物,它呼吸着时代的空气,词义因而不断地流变。

本主题将语言本身作为谈论的对象,涵盖高级学习者讨论语感、措辞、语源、言外之意、委婉与造词时所需的词汇。这些是新闻、学术与随笔中的雅致表达,一个词言外的分量往往比其字典义更重要:试看「『我们会研究一下』这一句话,往往暗含着实质上婉拒的意味」,以及「本以为已婉言谢绝,对方却全然没能领会」如何适得其反。正如一句所言:「语言是活物,它呼吸着时代的空气,词义因而不断地流变。」